シャローム!!
今回は【イスラエル出産経験談】の出産当日のお話です!
、、、あれ、これが陣痛か、、、、、、?
6月21日午前4時ごろ鈍い痛みで目が覚めました。
陣痛が始まって早い段階で病院にいっても待たされるだけらしく、時間がたってからかもしくは破水したら来るように病院から言われていたので様子をみていました。
眠れなかったので6時ごろになったらHeiwaを起こして病院へ向かおうと出かける準備をこそこそ始めました。
(今思えば自分が陣痛に耐えながらも冷静だったのが驚きです。)
陣痛が始まって約5時間後に車で病院に到着。
ホスピタルツアーで教えてもらっていた緊急用の受付で診察に向かいましたが、緊急の割には待ち時間は長かったです(笑)。
今にも生まれるんじゃないかと思うくらい辛そうなママたちがいっぱいいて、パパたちもいっぱいでした。
もちろん、コロナの流行はその頃も続いていましたが旦那さんの出産の立ち合いは変わらず許されていました。
診察を受けたら陣痛室に移動。陣痛の痛みは、、7か月経ちますがまだ思い出します(笑)。
(この時はまだ余裕こいてました。。。)
陣痛室は一部屋に2台のベッドがカーテンで仕切られていて他のママとシェアでした。(カーテン越しに2人が交互に陣痛に耐えてるが来る感じが面白かったです。)
12時半ごろに病院の昼食をいただきました。
私の場合その後もなかなか子宮口が広がらなかったので、病院に到着してから約10時間後、促進剤を打って無痛分娩をすることに決めました。
分娩室に移動しました。無痛分娩室はそれほど広くはなく、たくさんのモニターや機械がありました。
助産師さんは一人がほかの部屋の出産と掛け持ちで、分娩室を行ったり来たりする感じでした。
ちなみにツアーで見学した自然分娩室は20~30畳ほどの広さで、お産を促進するためにバランスボール(英語ではbirthing ballとも言うみたいです)や広いお風呂もありました。助産師さんも一人がつきっきりでいてくれます。
イスラエルの気質的にあっさりしていて、そっけない訳ではないのですが助産師さんも淡々としていたのでこちらも慌てることはなかったです。
促進剤を打って無痛の麻酔を打ちます。体中管だらけでの出産でしたがこんな素晴らしくて信頼できる医療がイスラエルにあることに感謝しました。
基本的に放置状態なのでHeiwaと自由に話したりリラックスはできました。
夜7時ごろ、Heiwaが病院と隣接するショッピングモールで買ってきてくれた夕食を食べた後気づいたら寝ていました。
9時半頃にだんだん麻酔が切れてきて痛みで目が覚めて焦りました(笑)。
切れてきた場合は渡されたボタンを押して自分で麻酔を追加するのですが私はイマイチ理解しておらず、
まだ頭を使って英語を聞き取るレベルの私は陣痛に耐えながら話を聞いてられなかったんです(笑)。
しばらくは麻酔がほぼ切れている状態だったので無痛分娩の意味があまりなかったようにも思いますが。。
子宮口が完全に開いてもう赤ちゃん出てくるよ!!
驚いたのが赤ちゃんを取り上げる助産師さんが1人だけで、ほかにスタッフさんもドクターもいなかったこと!
日本では取り上げるドクターの周りにたくさん助産師さんがいるイメージがあったのですが、イスラエルでは(その病院では?)助産師さんが1人だけで対応していました!
夜11時頃にシフト交代で担当の助産師さんが替わっていました(笑)
もうすぐ!もう気張っていいよ!のタイミングでも助産師さんはHeiwaと世間話。何しにイスラエルきてんの~大学で何の勉強してんの~といつも聞かれる質問大会が繰り広げられていました。(この質問の流れは毎回会う人に聞かれるのでこの日だけでも5回くらいしました)
私はピークの痛みで 今!??今その話する!!?!こっちは今から生むとこやで?!?!と思いながら聞いていました(笑)。
22日に日付が変わった午前0時24分 無事に元気な男の子が生まれました!
その病院の方針だと思いますが、生まれてからすぐに赤ちゃんとお別れするのではなく1時間ほどしばらく家族一緒に分娩室で過ごします。
分娩台の上で赤ちゃんを抱っこして余韻に浸りながら日本にいる家族にビデオ通話することができました!
午前2時ごろに赤ちゃんとはここでおやすみなさい~宿泊する部屋に移動します。
は~やっと終わった~と思ったら助産師さんが「36時間後に退院ね」
36時間!!!?二日もないじゃん。。
あっという間の入院生活については次回に続きます.........
最後まで読んでいただきありがとうございました!!
Nozomi